瀬田城跡
瀬田・唐橋
「五月雨にかくれぬものや瀬田の橋」
の句を残しています。文人墨客の往来が頻繁であったことが想像されます。 現在も、瀬田川に網をうち、その収穫した魚を船上で味わう「網船」が観光客の人気を呼んでいます。
一方、唐橋は交通、軍事の要衝であったこともよく知られ、記紀神話の時代から、 「瀬田」の名は現れてきていますし、天武天皇元年(672年) の壬申の乱に際しても大海人皇子軍と大友皇子軍との最後の決戦場となったのが、 瀬田橋でした。 長く木造であった唐橋も大正13年(1924)6月にコンクリート製に変わり、 現在の橋はさらに新しく、昭和54年(1979)に竣工したものです。
近江国衙跡
建部大社(たけべたいしゃ)
昔より「武運の神」として知れわたっていますが、これは源 頼朝が平家に捕らわれて、伊豆に流される途中、この神社に詣で、武運を祈願したということが、平治物語に記されています。また、30年の後、建久元年(1190)、この源 頼朝が征夷大将軍として上洛の途路、この神社に参拝し、今日の隆盛に感謝し神領を寄進したと言われています。 その後、元中8年(1391)の承久の乱のとき、この辺りは戦場となり兵火で焼き払われ、多くの宝物を失い、古い文書、記録は残っていません。天文末年の弓座の記録が最も古いものとなっており、延慶2年(1309)、勢多の判官中原章則がこの神社を再興したと伝えられています。 正面には神門が見え、その奥に神木の三本杉、次いで入母屋造の拝殿、そして中門を隔てて本殿と権殿があります。本殿には、日本武尊が祀られています。